オープンキャンパスというのは、主に来年度大学進学をひかえた高校生を対象に、大学のキャンパスを開放して、ミニ授業を受けてもらったり、施設を見てもらったりするイベントのことです。
大学にとっては非常に重要な営業活動になっています。
で、私は今回の目玉である「松本零士先生講演会」の司会をしました。
松本先生といえば、なんといっても「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」。
私も子どもの頃、「銀河鉄道999」の切ないストーリーに幾度となく感銘を受け、またマンガを見た後、気の向くままに漠然と未来に想いを馳せたものです。
その松本先生がわざわざ九州は別府まで来ていただいて講演をしてくださったわけです。
質疑応答を含め、2時間近くお話していただきました。
その中で、非常に印象に残ったのが、
「マンガ家は、マンガだけできたのではダメで、音楽とか絵画とか、宇宙工学とか、ぜんぜん知らない専門分野とか、とにかくありとあらゆる雑学を身につけなければならい。」
というご指摘でした。
さらに、
「とにかくいろんな経験をすることが大切だ。いろいろな経験を積めば、その経験でまたマンガが描ける。私は若い頃、ひどいインキン・タムシにかかった。恥ずかしくて周りの人に言えなかった。それでも勇気を出して病院へ行って薬をもらったら一発で直った。その経験があって『男おいどん』が描けた。すごい反響があった。」
そして、自分で得た知識と経験に裏打ちされたマンガにこそその人のオリジナリティがあるのであり、魂のある絵が描けるのだ、と。
私はこの話を聞いて、「日本語教育も同じだなあ。」と思いました。
変な言い方ですが、このごろ私は「学習者と授業を作っていく上で、日本語を教えるということ自体は、実は非常に些細な一手段でしかないのではないか。」と思うようになりました。
例えば、対比の「は」を教えるとする。
普通なら、「英語は話せますが、フランス語は話せません。」のような例文を出して、こんな時は「は」を使いますといった説明をする。これでとりあえず学習者は理解できるでしょう。
でも、これだとどっかの教科書に書いてあるのと同じ。私篠崎大司の授業ではありません。
「なぜ篠崎の授業を受けにきたのか。」という学習者の期待に全く応えていないわけです。(そんなの最初っから期待していないかもしれないけど。)
そこで先の例文の代わりに「ストレスがたまると、男はだまり、女はしゃべる」(『話を聞かない男地図が読めない女』より)を出す。
そして、定期試験が終わった直後の学生を見ると確かにそうなんですねえ、といった話をちょっとだけする。
すると、学生の反応がぜんぜん違うんですね。自分の経験を重ね合わせていったから、そしてその分だけ魂が込められた言葉だから、相手に伝わるのだ思います。
日本語教師にとっては、文法の知識も語彙の知識も教授法の知識も確かに大切です。
でも、専門を越えた幅広い知識や経験がなければ、言葉に魂のない、本当に世界の狭い授業になってしまうのだと思います。
かくいう私もなかなかできません。
でも、志だけは持ち続けていたいと思います。


